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その他 2016.09.27

元気の秘密! 情熱と好奇心に満ちた四国サイクリング

青木 正光

元気の秘密! 情熱と好奇心に満ちた四国サイクリング

2015年7月、折畳自転車で台湾1周のサイクリング旅行をしました。その時、台湾の日月潭のサイクリング道路などを楽しんで、その「日月潭」と姉妹関係にある四国の「瀬戸内しまなみ海道(約70km)」も魅力あるサイクリング道路だということで一度走ってみようということになり、四国サイクリング旅行を計画しました。今回は、この四国サイクリング旅行をご紹介します。

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瀬戸内しまなみ海道

 

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四国のサイクリング行程図(赤印がサイクリング)


50年前のことになりますが、学生時代に四国最西端の「佐田岬」から最東端の「蒲生田岬」までの450kmを徒歩で横断したことがありました。今回、「瀬戸内しまなみ海道」を自転車で走って四国の今治市に入ると、少し足を伸ばせば最西端の「佐田岬」まで行けるのでないかと行程プランをたてていた友人にお願いし、最西端の「佐田岬」のみならず最東端の「蒲生田岬」までを巡るプランができあがり、ついに2016年7月22日に8人による新尾道駅前からの四国サイクリング旅行が始まりました。

今回のプランは、広島県から自転車で「瀬戸内しまなみ海道」を渡り、愛媛県今治市から佐田岬、高知県の四万十川、仁淀川、桂浜、室戸岬、最東端の徳島県蒲生田岬まで走って、徳島駅から夜行高速バスを利用して帰るというもので、平均年齢69歳、最高年齢77歳の元気な老人たちによるサイクリング旅行となりました。

まず走るのは、広島県尾道市から愛媛県今治市までの瀬戸内海を7つの橋でつなぐ「瀬戸内しまなみ海道」 (約70km)です。この良く整備された世界的にも有名なコースには、世界中から多くのサイクリストが来ます。橋は高い位置にあるのですが、橋までの斜度3%のサイクリング道路は、ストレスなく登れるようになっていました。橋で繋がれた7つの島々を自転車で走りながら雄大な瀬戸内海を眺めることができ、特に長さ4.1kmの来島海峡大橋は圧巻で、眼下には大きなタンカーが行きかっていました。

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出発地点の新尾道駅

 

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サイクリストの聖地(後ろは多々羅大橋)

 

今治市から海岸線を、瀬戸内海にある私の生まれ故郷の山口県「屋代島(周防大島)」を遠望しながら走り、 松山市からは日本で一番細長い佐田岬半島を走りました。この半島は、急なアップダウン(斜度7%)の連続で、また、自転車走行の際にはもっとも注意しないといけないトンネルが続くため、灼熱の太陽の下、過酷な道を走ることとなりました。こんな場所のせいか他のサイクリストに遭遇せず、しまなみ海道とは大きく違いました。

ようやく辿り着いた四国最西端の佐田岬にある佐田岬灯台は、1918年に点灯しました。今は無人ですが、50年前に訪れた際、この灯台に特別に泊めて頂いたことがあり、私にとっては感慨深い場所です。

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四国の最西端の佐田岬(筆者)

 

佐多岬半島の中央付近にある道の駅「瀬戸農業公園」で地元の人と話をした際に、「佐田岬灯台から蒲生田岬灯台まで歩いたことがあり、50年ぶりに懐かしい場所に自転車で訪問することができた・・・」と言うと、驚きとともに地元の人から「是非、また50年後に訪問して下さい」と言われ、「50年後に、足のない状態で訪問します!」とジョークで返しておきました。

南下する渡り鳥が集結する場所でもあるこの細長い半島には、現在、半島に沿って58基もの風力発電機の巨大な羽根が回っており、再生可能エネルギー施設の最前線となっていました。さらに、この半島の付け根に近い場所に四国電力の伊方原発もあります。40年が経過した1号炉は廃炉となりますが、他の2炉は再稼働が計画されており、走っていると拡声器による反対運動の声が聞こえてきました。

佐多岬半島をあとにし、トンネルの多い一部の区間は自転車を畳んで電車を利用して高知県に入り、日本最後の清流と呼ばれる四万十川を自転車で下りました。

川に沿った国道のみならず、車を避けるため起伏の激しい山沿いの旧道を敢えて選び、沈下橋を見ながら走りました。四万十川では、今では珍しくなった天然ウナギも賞味することができました。

また、宿泊した山中の宿では50畳の部屋を7人(1人は先行して別行動)で使い、エアコンがなくても涼しく快適に泊まることができました。翌日は土佐湾を一路走り、ジョン・万次郎らが漂流した際に出航したという浜も通過して、高知へ。

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50 畳の部屋

 

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ジョン・万次郎ら漂流出航の浦

 

坂本龍馬の銅像で有名な桂浜を散策し、鰹のたたきに舌鼓を打ちました。高知の香南市から最南端の室戸岬まで70km、途中の田野町では完全天日製塩を見学することができました。驚いたのは、フランスのレストランから特注を受け販売している一番高い天然塩が、1kg 100万円もすることでした。天然塩を作る職人とレストランの料理人が打ち合わせをして、その食材にあう天然塩を作るというのですから、これにも驚きです。

そして高知県の低い平野には、南海トラフ地震の津波対策として多くの津波避難タワーが建設されていました。それを見ながら走り、四国八十八ヶ所の25番札所「津照寺」に124段の石段を登って参拝してきました。室戸岬ではサイクリングウェアのまま海岸で泳いだのですが、誰もいない透きとおった綺麗な海は最高でした。

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津波避難タワー

 

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室戸岬の月見ケ浜


室戸岬で宿泊した室戸荘では、女将が語り部のように話す、室戸台風や岬での民宿の経営などの詳しい話に皆が堪能しました。その日は、ちょうど土用の丑の日でしたので、四万十川のウナギが夕食に付き、再度、賞味できました。

翌朝、日が登る眺めは素晴らしいものでした。室戸岬の朝日を浴びて一路、海を右に見ながら北上し、車も店やコンビニもほとんどない灼熱の国道を、冷たい飲料を自販機で買って補給しながらひたすら走りました。この日は日曜日だったので、徳島県阿南市にある北の脇海岸の海水浴場は家族連れに賑わっていて、ここでも泳ぎ、しばし英気を養いました。

そして、最終目的地の四国最東端「蒲生田岬」へ向かうためアップダウンの続く道を走りました。ようやくたどり着いた岬の遊歩道と石段を登ると小さな灯台があり、太平洋の荒波に囲まれた絶景を眺めました。岬からの帰途、50年前に泊めて頂いた椿町中学校に訪問し、先生と話すこともできました。実に懐かしい場所で、当時の記憶が蘇りました。私の青春時代の良き思い出を辿るサイクリング旅行でした。

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四国の最東端の蒲生田岬灯台

 

阿波福井駅から1両しかないのどかなローカルワンマン電車に輪行し、最終目的地の徳島駅へ。徳島駅前の温泉で汗を流し、餃子の王将で打ち上げをしてから、22時発の夜行高速バスで関東に戻り、11日間の四国サイクリング旅行は無事終了しました。

今回、8人でサイクリング旅行を始めましたが仕事の関係もあり、最終的に6人となりました。天候に恵まれたこともあり、11日間で634kmを走り、電車での輪行も含めるとほぼ四国を一周することができました。
また、それぞれの街や村、宿の方との触れ合いも良い思い出になりました。サイクリング中のメンバーの転倒、行方不明、パンクなど色々なことがありましたが、平均年齢69歳のメンバーで、これだけ走れたのは

皆が情熱と好奇心に満ちていたためであったからではないかと思います。苦しくもあったものの結果的には楽しい四国サイクリング旅行でした。

なお、この四国サイクリング旅行には、一般社団法人 日本電子回路工業会の長嶋元専務理事、一般社団法人 エレクトロニクス実装学会の井戸元専務理事などが参加し、プリント配線板業界や実装業界に関係深い方の参加もあったことをお伝えした上でサイクリング紀行を終わりたいと思います。

 

 
NPO法人 日本環境技術推進機構 横浜支部 理事青木 正光
http://www.jetpa.jp/jetpa/
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